実際的にも備えられて

1サムエル記11章15節
「民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。」
/サウルは神に選ばれ、油注がれ、さらに民たちの前で神に選ばれたことが明らかにされました。しかし、まだ王ではなかったのです。戦いにおいて民を救うというその実績をもってサウルが王であるということが確立されていきました。王だけがいれば王国となるのではなく、王によってどのように治められるか、導かれるかを戦いを通して具体的に知り、そうして民も王の民としての姿を知ってサウルの王国は確立されていったのです。神はその実績も備えてくださったのです。