「留まる勇気」エレミヤ 42:7-17

「留まる勇気」エレミヤ 42:7-17
1 十日の後に
イシュマエルを討ち果たした、ヨハナンたちは、預言者エレミヤに「あなたの神、主が、私たちの歩むべ き道と、なすべきことを私たちに告げて下さい」と願います。欲望のままにバビロンの王によって立てられ た総督を殺したイシュマエルとは大きく違います。
しかし、神様のみこころを求める言葉の根底は、それほど信仰的でもありませんでした。彼らは、自分た ちの結論(エジプトへの脱出)を持っていて、それに対する、神様の保証が欲しかっただけのようです。
エレミヤが神様にみこころを伺うのに十日の日数がかかったようでした。これは、ヨハナン達にとっての 救いに可能性でした。この十日間で彼らは、自らの心を探ってみるべきでした。その口にした言葉どおり に、すべてを神様に委ね、神様に従う決心がついているかを。
神様が答えを待たせるのは、しばしば、このような意味があるのです。
2 この国に留まるなら
エレミヤの言葉は、ヨハナン達の予測とは違っていました。それまでエレミヤは、「神の裁きのゆえに、 ユダはバビロンによって打ち破られる。人々はバビロンに連れて行かれる」と預言していました。ヨハナン 達は当然、「バビロンによって打ち破られる」と預言すると考えていたことでしょう。「それならば、自 分たちは、エジプトに脱出しよう」という結論になると考えていたのです。
しかし、エレミヤの預言は「ユダの国に留まれ」でした。昨日と今日の神様の導きは違っていたのです。
神様は私たちを変わらずに導き、守られます。しかし、そのためにどの様に導き・守られるかは、刻一刻と 変化する可能性があります。ですから、私たちは日々の祈りと聖書を書くわけにはいかないのです。聖書の 原則は変わりません。しかしそれを置かれた環境や時代の中で、どのように適用(現実化)されるかは、変化 していくのです。
ヨハナンたちは自分たちの予測を採用し、エレミヤを通じた神様の導きに心を向けることが出来ませんで
した。
3 救い、救い出すから
神様は「彼の手からあなた方を救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ」と言葉を重ねて、エジプ トへ行くことを止めようとします。それは、神に頼ることを放棄してしまう決断だったからです。
神様に従うことを失ったので、バビロンによって打ち破られたのでした。そして、移住させられた人々はバ ビロンの地で、神様に従うことを学び、ユダに残された人々は、ユダの地で神様に従って生きることが求 められていたのです。