「裁きに服せない人々」エレミヤ記 41:1-10

「裁きに服せない人々」エレミヤ記 41:1-10
イシュマエルの反乱
これを反乱と言って良いかどうか疑問ですが、バビロンの王が総督にしたゲダルヤを、イシュマエルと王の高 官と十人の部下とで殺してしまいます。
エレミヤは、今回の出来事が神様の裁きであると預言をしていました。その通りに預言は実現し多くの者が バビロンに捕らえ移されたのです。しかし、ことが起こってなお、神様のご計画に心を向けない人々がいたの です。
裁き(敗北)という現実と向き合えないのです。
罪の連鎖
イシュマエルたちは、主の宮に捧げものを持ってきた人々八十人を惨殺します。この人々は「ひげをそり、衣 を裂き、身に傷を付け」と記してありますから、裁き(敗北)を痛み・嘆き、神さまの前に悔いの祈りを捧げに 来た人々です。それなのに、罪の発覚を恐れて殺してしまうのです。
さらに、その中の十人が「小麦、大麦、油、蜜を畑に隠しています」というと、命を助けています。何の大義 もないことが明らかにされています。
アモン人のもとに
イシュマエルたちは、このことの後に、すべての民をとりこにして、アモン人の元に行こうと計画をします。 バビロンの支配(総督)に反旗を翻しても、彼らの結論はアモン人に頼るわけです。決して、神様に祈り頼ろう とはしてはいません。
私たちは、このイシュマエルの姿を反面教師としなければなりません。私たちは、神様の計画に耳を傾ける 者でありたいものです。そして、それが困難なことであっても、その中にめぐみを捜し、絶えず神様に頼る心 を失ってはならないのです。